
1822年(文政5年)末、25歳になったばかりのフランツ・シューベルトは、梅毒を発病する。いつ感染したのかは謎に包まれているが、同時期に無二の親友フランツ・フォン・ショーバーにも同じ梅毒の症状が現れたことを考えると、おそらく同年に二人で売春宿へ繰り出した時に、「もらって」しまったのだろう。
いずれにせよ、この時期のシューベルトが、その若さにもかかわらず、明確に「死」というものを意識しはじめたことは疑いがない。「未完成交響曲」として知られるこの曲は、オーストリア南部の都市グラーツにある、シュタイアーマルク音楽協会に名誉会員として推挙されたことに対する返礼として、作曲途中にも関わらず、前半の二つの楽章が送られた。その後、なぜ後半の2つの楽章が送られずじまいになってしまったのか、歴史の真実は口を閉ざしたままである。
「未完成交響曲」の主題は、この時期の作曲家が抱いた性的な強迫観念(第1楽章)とその成就(第2楽章)である、という解釈がある。筆者はこうした側面に、若きシューベルトが抱いたに違いない、「死への恐怖」を付け加えたい。梅毒という不治の病を得てしまった、という、奈落の底へ突き落とされたような絶望感。ひとときの快楽と引き替えに得てしまった、曰く言い難い不安。性と死と、両者が密接不可分に結びついたこの作品は、確実に「ロマン派」と呼ばれる次代の音楽への道筋を切り開いた。第1楽章の調性も、19世紀に入って初めて大々的に用いられたロ短調。キリストの磔刑に用いられた十字架を象徴する調性でもあり、非常に意味深である。不安を敢えて封印し、脳天気なまでの明るさを押し出そうとした第3楽章が未完のままに終わったのは、ある意味必然の成り行きでもあったように思う。
第1楽章冒頭の重苦しいチェロとコントラバスの序奏にはじまる一連の音楽こそ、作曲家のエロスの昂進と、満たされない欲求の狭間に苦しむさまを雄弁に物語る。展開部でたたみかけるように盛り上がる悲劇的な音楽(9'01")でも、この不安が激烈に描かれる。第2楽章は、女性という存在の麗しさ、甘美さの表現であろう。優しげなクラリネットのソロ(18'16")は、シューベルトが書いた旋律の中でも、極めつけの美しさに満ちている。
ウィーンで生まれ、ウィーンで没した、生粋の都会っ子。早くから音楽に親しみ、18歳の時には、すでに歌曲「魔王」によって、周囲に圧倒的な才能を見せつけた。友人の家を転々としながら、交響曲、オペラ、ピアノ曲、歌曲を量産し、「シューベルティアーデ」と呼ばれる、シューベルト作品を楽しむ友人・ファンの集いで曲を披露した。死因は梅毒とも、魚料理による腸チフスとも言われている。享年31。
収録:2008年6月7日 すみだトリフォニーホール

1971年、ウィーン出身。若い世代の中でもっとも活躍する指揮者の一人。小澤征爾のアシスタントを務めた後、ボストン交響楽団、ウィーン放送交響楽団、ウィーン交響楽団他と客演を重ねている。24歳でチェコのヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮、2001/02年シーズンまで首席指揮者を務める。2003年9月、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督に就任。若手指揮者の異例の抜擢として大きな話題を呼んだ。豊かな音楽性と端正な指揮姿は多くのファンを獲得している。