前回、「思い出工学」を提唱してくれた野島先生は、実はNTTを越境、亡命したエンジニアである。その理由を聞いてみることからも、やさしいITの窓が開いてくるかも知れないと考え、NTT時代の野島氏のお仕事を聞いてみた。
「成城大学に来る前は、NTTの電気通信研究所にいたんですね。歴史的にいうと、僕がNTTに入ったのは、今からちょうどじゃないけれど(笑い)26年前で、1983年に、その頃は電電公社と言っていたNTTに入ったんです。当時のNTTの研究所というのは、工学系一辺倒の研究所で、2500人ぐらいの工学研究者がいたんですね。その中で僕は異端児で、心理学系、文系の人としては実に2番目として入ったんですね。記念すべき文系出身のお一人が、1年前にご入社された三宅さんでした。そして二人で、これからNTTも人間の話をやろうという話になったわけです。
これからのITにヒューマンインターフェースは不可欠だ、ということで、まずは知覚の研究に着手しました。人がどういう風に文字を認識するかとか、漢字を提示してそれがちゃんと読めるかとか、そんなインターフェースのあり方を研究していました。
一番最初に手掛けたのは、覚えていますか(笑)、「CAPTAINシステム」です。あれはいいシステムでした。今考えてみると、まさにウェブですよね。インターネットじゃないけど、ネットワーク上でサーバーがあって、双方向で情報を提示して、それをみんなが見られるわけです。1970年代の終わりから1985年ぐらいまで、当時は「videotex(ビデオテックス)」というのが非常に盛り上がって、僕はCAPTAINのヒューマンインターフェースの研究をしていたんですね。
確かに、その研究は面白いものでしたが、要するに今でいうリモコンがあって、ボタンがたくさんあって、このボタンを見ないと使えないみたいな課題もありました。加えて、画像の提示の仕方が遅かったし、画面の出方も非常に遅かったし。でもあれはあれでちゃんとやれば、本当は面白いものになったんじゃないかなと思いますけどね。
でも残念ながらNTTというのは、videotexとかに関してはインフラは提供するけれども、その中身には手が出せなかったんですね、メーカーじゃないから。インターフェースをこうしたいとか、こちらの会社とこちらの会社で出しているメニューが全然違うのはまずいんじゃないかとか、終了のボタンぐらいはだいたい同じでしたけど、メニューの選択の方式から、ボタンの使い方まで一つ一つ違っていたのに、提案は出せても、NTTは中身には口を出しませんということで、結局全然直せない。そんな時代でした。
人間のリンクで生まれる集団での問題解決
次に1985年ぐらいから、僕は日本のネットワーク、「JUNET」とかにちょっとのめり込んでいて、JUNETでその頃は電話でしたが、モデムで接続していたんですね。その時の日本各地の中核、当時はパケツリレー式でしたが、そのバケツリレーの中心のマシンをやっていたのが、僕が関係していたマシンなんですね。
なぜそれをやっていたかというと、NTTの研究ですから電話代がただなんですよ。伝票1本書くと、電話線が敷けたんですね。だから我々が北大まで接続して、北大と情報をやりとりして、東北大、東工大、慶應大、豊橋技術大、それから名古屋、京都大学、九州大学まで全部、我々のところからリンクして、リレーをやっていたんです。それの管理人が、80年代の後半の僕の仕事でした。
そんな時代に感じたのが、人間のリンクの大切さでした。そして、90年代ぐらいに、実はノーマンの本を訳したんです。僕は元々、社会心理学ですから、集団での問題解決みたいな話にすごく興味を持っていました。要するに人が協力をして問題解決をするシステムやコンテンツを開発してみたかったんですね。
例えば、我々の研究所のネットワークというのは、実にうまく動いていました。なぜうまく動いているのかというと、要するに明確な分業があったからです。ユーザーを知っている人、ハードを一生懸命メンテナンスしている人、ネットワークのルーティンみたいなことをやっている人、その上で動くアプリケーションとか、インストールをしている人。そういう人々がいて、集団としての問題解決が図られていたんです。
我々が何か物事をやる時は、実はマニュアルなんかは読まないわけです。何でマニュアルは読まれないんだろうという話が、その頃もよくインターフェース会では話題になっていましたが、実は読まれていたんですね、ほんの一部の人には。その人が周りの人に情報を伝えたり、いろいろなことを手助けするわけですね。
情報コンテンツも同じはずです。知識を社会に遍く浸透させるには、遍くみんなが勉強するんじゃなくて、ある人は社会に非常に貢献して勉強する人と、ほかの人はその人の言うことに依存する。逆にほかの分野に関していうと、ほかの人が今度は詳しくなって、その人に依存するみたいな形で、そういう相互依存体制というのが、我々の知識を支えているんだなということがよく分かってきた。それがある種のアーカイブに依存している時もありますが、やっぱり人に凄く依存しているんですね。
なぜ人に依存していたかというと、今から考えてみると、やっぱりコンピューターが非力だったんですね、データベースにしてもね。だから人に蓄積した方がずっと有効だったわけです。
僕はその頃、アメリカのデータベース「Dialog」の研究もしていました。あれは恐ろしく高いもので、1分間つないでいると200円もかかかった。しかし、こんなのが自由自在に使えるようになったらどれだけ生産性が上がるかなと思っていたところに、インターネットが出てきました。今までは人間に依存していた情報がアーカイブという形で、どんどんネットワーク側に保存されてきて、それが簡単に利用できるようになった。そうすると、今度は「自分の情報はどうなるんだろう」と考えだしたのが、90年代になってからなんですね。思い出工学は、この辺りから問題意識として持ち始めたんです」。
野島氏が言うように、インターネットの時代を迎え、私たちの回わりには、いとも容易く取れる膨大な情報が存在するようになった。研究所や図書館、博物館、資料館などの公的な情報や、新聞やテレビ、本などの情報や広告、広報などの、他人が作りだして私たちに手渡してくれるもう一つの公的な情報である。しかし、ここで考えるべき問題は、いずれも「私以外が作りだした情報に過ぎない」という厳然とした事実なのである。
そこから浮かび上がることは、「こちらコンテンツ」の大切さである。実はここに、もしかすると日本スタンダードになるかも知れない、思い出工学に基づく、やさしいITの可能性が見えてくるような気がするのだ。
他人の作った情報と容易くアクセスできる仕組みを生み出したアメリカ。彼らが対象としているのは、実は「グローバルなネットワーク」が生み出した「あちらコンテンツ」に過ぎないのだ。
それは、私のあちら側にある情報が放っておいても無尽蔵に「貯まる」仕組みであり、その「すべて」を「検索」できるITは、確かに「いつか役に立つかも」という情報を提供してくれるという意味では、「未来志向」なのかも知れない。
そんなアメリカとやさしいITで対抗するには、野島氏が言うように、私たち自身が生み出す「ローカル」な「こちらコンテンツ」がキーになるように思える。「勝手に溜まる」のではなく、「意志して貯める」。「すべて」にこだわらずに、「チャーミングな一部」にこだわる。「検索」なんかできなくても良い、でも掛け替えのない何かに辿り着けるように「私だけの分類」を大切にする。
「アメリカが未来志向なら、私たち日本人は、こちらコンテンツがもたらす「今基準」で行きましょう」。
野島先生の今回の総括メッセージである。
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